生しゃべり場

その後、ゴメファン友達とご飯を食べに行きました。
ドロールカフェ(でよいのよね?)で、フレンチトーストを食べたら、からいものが食べたくなって(あ、からいもの=しょっぱいもの、です)、二軒目に移動してもらいました。
二軒目でいろんな話をしたのですが、一番印象に残ったのは、CDを山積みにしてるのをTちゃんに怒られたことです。「とりあえず聴け!」と。私の周りには生優しい友達ばかりで(類友ともいう)普段はそういうところはかなりなあなあだったのですごく新鮮でした。そして、そういう怒り方ができる人に感動しました。尊敬か。
ごめんなさい。(←ええとこのおわびの気持ちは積んでしまったCDの製作者の人に。)これからはちゃんと聴きます。多分聴くと思う。聴くんじゃないかな。まちょっと覚悟は……。(や、聴きます聴きます。)
あと、しゃべり場みたいなトークをしてしまって後で赤面しました。やー、あの番組観てると胸が痛いのは、自分を見てるようで恥ずかしいからですよねきっと。自分の気持ちが整理し切れてないのが自分でもわかって、今しゃべってることさっきと明らかに矛盾してるよ?!という突っ込みを猛烈に自分に入れたくなる気持ちとか。ちょっといたたまれなかったです。でも楽しかったです。高校生のときの飲み会みたいで。
でもねー。私の言う「普通」って、家で例えると普通に人が住みやすい家って「普通の家」と言うでしょ?「変わってる家」ってちょっと悪口だったりしませんか?そういう感じなんだけどなー。そこが間違ってるのか?
「変わってる」なんていう、ある意味「無個性」みたいな、簡単なくくりですまされちゃうのがなんか嫌だなあ。とかね。
うーん。やっぱり言葉の定義が微妙に違うのかもしれない。あるいは考えすぎて意味が違ってきちゃってるとか。
「普通」と「変わってる」の定義は難しいですね。
そして全然大人になれてない自分に気付いてちょっと悲しくなったりするのでした…。しゃべり場て…。何歳だよ私…。